元格闘家先生のスポーツ障害・外傷の治療

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スポーツ指導者に思う…

接骨院をやっていると色々な患者さんが治療に訪れます。最近の整骨院は、利用者ばかりか施術する側の人間でさえ「保険の利くマッサージ屋」という意識がまかり通り、嘆かわしい限りですが、中にはそうではない患者さんもいらっしゃいます。特に子供が治療に訪れる時はまず間違いなくケガです。

昔の子供たちは近所の空き地などで鬼ごっこをしたり押しくらまんじゅうをするとか、とにかく自分の自由な意思にまかせて思う存分身体を動かしていました。その分、特に男の子は生傷が絶えないような感じでした。

最近は昔のような空き地もなく、公園の遊具も一度事故などが起こると「危険だ」ということですぐに撤去されてしまったりと、子供たちが自由意思で思う存分身体を動かせる場所がなくなってしまいました。そして取って代わるように、携帯電話やスマートフォンの普及により子供たちの遊びはオンラインゲームが大きな部分を占めるようになってしまいました。ですから最近の子供たちが身体を動かす機会というのは、学校での体育や部活動、あるいは地域のサッカーや野球、バレーボールなどのチームでの練習などに限定されてきています。

当院に通院する子供たちを見ていて強く思うことは、「最近の子供たちは身体が硬いなぁ・・・」ということです。また、脱力も出来なくなってきており、常に何かの「型」にはまらないと落ち着かない様子が見てとれるのです。

ところで私も子供のころ少年野球のチームに入っていたことがありますが、子供たちを指導していたのは近所の「単なる野球好きのオヤジ」でした。

その人たちはもちろん、普段から自分の心身を鍛えたり磨いたりしている訳がなく、身体の使い方もデタラメでガチガチに硬い「単なる野球好きのオヤジ」なので本来子供たちの指導なんかしてはいけないのですが、例えば練習中に突き指をした子供に対し、それがどのような状態であれ無闇やたらに指を引っ張ったり、練習を休むことを許さなかったり、かなり無茶なことを平気でやっておりました。

しかし子供たちにはまだ、自由意思で思う存分身体を動かすことの許されたフィールドが沢山あったため、それぞれの子供たちがそれぞれの知恵で折り合いをつけていたので、今の子供たちのように身も心もガチガチにならずに済んでいたのではないかと思われます。
「単なるスポーツ好きのオヤジ」が子供たちを指導する構図は昔も今もあまり変わっていないようですが、大きく変わったのは、子供たちがケガをした際に無茶なことをしなくなった、させなくなったということでしょうか。これは下手をすると訴訟問題に発展しかねないので、そうなるのを未然に避けるためでしょう。

そしてもう一つ変わった点は、社会全体が「理屈っぽくなった」ことです。
何でもかんでも理論・理屈が先行しているように感じます。競技する際の身体の動きや戦術的な面まで理論を教え込もうとします。
しかし子供たちはまだこれらの理論を体現するための身体が出来上がっていないのです。そして監督やコーチの視線を気にするあまりプレーの本質を理解するよりも先に、教えられた型を自分の納得のいかないまま、筋肉を緊張させ演じるということになってしまうのです。常に大人たちのジャッジを気にして緊張が解けず、全身の筋肉や関節は固められてしまうのです。子供たちを理論で縛り付け緊張を与えている当の大人たちはどうかというと、やはり全身ガチガチで、しかも身体のことに関してまるで無関心なのです。ここで一つ重大な事実をお伝えいたします。

「身体の硬い人は頭も固い」

という事実です。身体の硬い人が何故「頭が硬い」のかというと、ストレッチや柔軟体操をしないからです(もちろんこれだけではありませんが・・・)。何故しないのかというと「嫌い」だからです。何故嫌いなのかというと「痛くて面倒くさい」からです。 はっきり申し上げてこのような人たちは、柔軟な身体を駆使してしなやかで伸び伸びとした動作、そしてこれに伴う明瞭な精神状態の快適さを「全く知らない」のです。

一方身体の柔らかい人はこの快適さだけでなく、ガチガチに緊張して筋肉も関節も動きが制限された不快で不自由な状態も知っています。つまり物事を受け入れる許容量や考え方の幅が、身体の硬い人に比べ格段に広いのです。

ここである喩え話をさせていただきます。この話はかなり語弊のある喩えなので、笑って流していただいて結構です。
例えば、元ヤンキーの人が結婚して子供が出来たとします。学生の頃の彼は勉強が大嫌いで、ちょっと考えて分からないことを理解しようとする努力を一切せず、その代り「分かんねぇーよ!!」と逆ギレしては、「分かろうとしない努力」に全力を傾けてきましたが、社会人になって子供が出来たことを機に、一家の主・大黒柱としての自覚に目覚めたとします。すると彼は良き夫・良き父としての自分自身の姿を強くイメージするようになり、それを演じるようになります。このような人達がよく言うセリフにこんなものがあります。
「学校の勉強なんか社会に出てから何の役にも立たない!」 そして自分の子供に対してもこのようなことを言います。自分は子供に対して勉強!勉強!とうるさいことを言わない、子供にとっての良き理解者であるというアピールなのか、はたまた勉強なんか出来なくても伸び伸び育ってほしいとの気持ちの表れなのでしょうが、ここに大きな勘違いが潜んでいるのです。

果たして、子供はみな勉強が嫌いでしょうか?
子供はみな無現の可能性を持っています。そしてどんな子供でも何か興味のある科目はあるものです。子供は勉強そのものを嫌うのではなく、それを強制される雰囲気やちょっとした計算間違いや解釈の違いを許してもらえず、それをそのまま自分への評価にされてしまうことが嫌いなのです。

上記の「学校の勉強なんか社会に出てから何の役にも立たない」という言葉は大変傲慢な言葉です。
何がどう傲慢なのかというと、自分に偏った一方的な考えを押し付けているだけだからです。役に立つかどうかではなくて、「役に立たせる意思があるかどうか」が大切なのです。このようなことを子供に言う大人は、はっきりと申し上げますが、現実逃避ばかりして物事の本質を見たくないだけなのです。ですから仕事を選ぶ際もなるべく「学校の勉強が役に立たなそうな(実際は役に立たないものなどないのですが)」仕事やフィールドばかり選んでいるはずです。そして現実逃避を繰り返す自分自身を正当化しようとしているだけなのです。

先に述べた喩え話は、子供にスポーツを指導しているほとんどの大人たちに当てはまります。自分たちがストレッチや柔軟体操が嫌いだから子供たちにも指導しないのです!スポーツ競技においてパフォーマンスを向上させるために絶対に必要な要素は、しなやかで伸び伸びとした動きと明瞭な精神状態です。しかしほとんどの指導者はこれらを「全く知らないまま」理論だけを子供たちに押し付け、自分の都合の良い解釈に基いた動きの形に子供たちをはめ込もうします。結果、子供たちの身体は柔軟性を失い、常にジャッジを気にしながら緊張を続けるのです。

この傾向は単にスポーツの発展のためだけでなく、日本という国の将来を考えても悪影響しか及ぼしません。
せめて指導者たる大人たちがもう少し真剣にストレッチや柔軟体操に取り組んでほしいものです。
ストレッチや柔軟体操の重要性を大人たち自らが気付くべきです。

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